いつもときめいて笑顔で

今週の一週間は水曜日にテスト(しかもこのテストにパスしないと単位取れない!)と課題提出、木曜日提出の課題が2つ、金曜日にも大きな課題提出。と大変忙しく、食堂まで行ってゴハン食べられないからクッキーとカプチーノだけだったり3時に寝て7時起きとかでしたー。あ、でも最近いつも授業を受けている建物に併設されているカフェにお寿司が入荷してまして私もさっそく稲荷寿司を買いましたよ。日本で売ってるものと味も変わらないし(甘すぎるかと思ったけど杞憂でありました)値段は日本の2倍くらいでしたけど、これからも入荷して頂くため無理のない範囲で買おうと思います。

 

いいことはまだまだありました、いつものようにおおよそ大学に通う格好じゃない服で一人黙々と実験のデータ処理をしていたら、同じラボだという女の子に話しかけてもらって、一緒に作業して遂には番号交換したり、買い物の際におまけをつけてもらったり、最近4年生ということで卒業研究のためいろんな教授とお話する機会に恵まれたのですが、みなさんとても親切で、「またいつでも来ていいんだからね」と暖かいお言葉をかけていただきました。

 

このように、多忙ながらも周りの方々に恵まれ毎日愉快に過ごしておりましたが、私はあることに気がついて愕然としました。それはこの幸運に見合うだけの苦労や親切を一切してきてない、どころかこの間天体物理クラスの男子生徒に「この問題難しくない?」ときかれ思わず「こんな問題私なら目をつぶってたって解けるんですよ」と答えて顰蹙をかったばかりです。というわけでこの私の身に降りかかった思いがけない幸運はきっと前借り分なのだろう、なにか親切をして還元しないと今にバチがあたる、もう破滅まで秒読みだ、そう思いました。

 

今までは周りの人間に勝つこと、勝ち続けることのみを目標にして観念的なことに関してあまり深く考えたことはありませんでしたが、世の中にあまねく全てのことはきっと因果関係で成り立っているのでしょう、「いいこと」をしたら社会に還元され、「いいこと」をされた人がまた廻り廻っていくことが「縁」と呼ばれるものなのかなとおもいます。そしてその「いいこと」は自分の力で背負って成し遂げて初めて意味を成すものなのかなって。そうしていけば嫌な人間とはどんどん縁が切れてステキな人々とのご縁がいっぱいできるようになるんじゃないかな、そうだと思いたいですが。

 

そんな仏教っぽいことを長々と言語学と日本語を大学で教えてらっしゃる日本人女性の教授と話し合っていたら、先生の教えてらっしゃる初級の日本語のクラスになかなか伸び悩んでいる生徒さんが何人かいて、中間テストにしっかりパスしないと単位も危ないということで、次の木曜日にレビュー・セッションをすることになりました。今週末中にチューターの方とも相談して、60分間を無駄にしない授業計画を立ててきちんとお役に立てたらと思います。